理由は忘れてしまったのですが、
何かちょっとしたことで怒ったまま、
何を言っても何をしても怒りの気持ちが長引いていた息子との会話です。
私「ずっと怒ってても、自分が苦しくなっちゃうだけだよ。
怒っている気持ちはママ、十分にわかったよ。
でも、そろそろ、『ま、いっか~』ってしようか。」
息子「やだ」
~以下、私の言葉はピンク、息子の言葉は青で示しますね~
「そっか。やなんだね。でも、どうしてママがこういう風に言うか知ってる?」
「なんで?(ふて腐れながら)」
「だって、これ、遊びだから。」
「え?」
(ふて腐れながらも、興味をしてしてる)
「ここはね、プレイグラウンドなんだよ。全部遊びなの。」
「どういうこと?」
「今ママはあなたのママだけど、ママの役をやって遊んでるの。
あなたはママの子供の役をやって、遊んでるの。
大きなプレイグラウンドで。」
「それって、
この前僕とL(妹)がお医者さんごっこして
Lが痛いって言った足を僕がなおしてあげてた遊びみたいに?」
「そう、そしてくまさん(ぬいぐるみ)が看護婦さんの役だったでしょ?
それとおなじ。
皆、いろんな役をしてるの。
パパはママと結婚する役、そしてあなたのパパの役。」
「じゃあ、僕たちは小さなお人形さんで、
神様が上からそれで遊んでるの?」
「大当たり!すごい~。よくわかったね。そうなのよ~。
だからね、あなたが今怒っているのも遊びの一つ。
遊びだから、それを真剣にやり過ぎないで、長引かせないで、
楽しくしちゃった方がいいと思わない?」
「そうだねえ。。。でも、ママだって怒ることあるじゃない。」
「うん、ママも怒るよね。どういうとき怒るっけ?」
「僕が悪いことしたとき。」
「そう、本当に危ないことしたとき、言ってもやめない時だよね。」
「うん。」
「そんな時はママ、真剣に怒ってるけど、
でも、その裏の、本当の事は何だと思う?」
「遊んでるの??」
「そうで~す!!」
「じゃあどうして怒るの?」
「その感情を、体験したいんだよね、遊びの中で。
だからどんな感情でも持っていいし、表現していいんだよ。
遊びだから。感じたいんだから。
でも、その、出来事に対してあまりに真剣になったり
完璧主義になったりするのって、
楽しい遊びかな~?」
「ううん、違う。」
「そしてさ、ママが怒る時って、
『ママの言う事聞きなさい!』とか、
『子供なんだから』とか、
『子供は親が言ったことをしなさい』とか言ったことある?」
「ない。」
「どうしてかわかる?」
「ううん。」
「だって、親も子供も、その役を演じてるだけで、本当は同じだよね。
これ、わかる?」
「うん、皆、同じ魂だから?」
(↑これは小さな頃から話してあるので既に理解してるみたい)
「そうそう。
だから、親だからってえらいわけでもえばっていいわけでもないじゃない?
親という役だから先に生まれてるけど、
実際は子供から親が学ぶことの方が多いんだよ~。
ありがとね~!」
「ママも、ありがとう!」
「こうやって、私たちの魂が、
家族って役を決めてここに一緒に居られてママはすごく嬉しいんだよ。
それだけで幸せなの。」
「僕も!
でもママ、僕、魂でいたいよ。
身体って、いらないんじゃない?」
「あはは。そう思うのね。
でも、今ここで、目に見えてるのは身体だよね。
この身体を通して
この地球っていうプレイグラウンドで遊んでるんだよね。
ここでの遊びのために、この身体っていう道具を使ってるのに、
これがなくなっちゃっていいのかな?」
「そうしたらもう僕、
ここでママの子供の役として遊べないね~。」
「うん、身体を持った子供としては、遊べないよね。
だから、大切にする方がいいと思わない?」
「大切にする方がいいと思う!
神様、これで遊んでるんだもんね。」
「うん、でも、その、神様ってだれ?」
「えっと、宇宙にいる、宇宙を作った人?」
「そうそう。ただ、人じゃないかな~。
ほら、前に見せた、
宇宙の始まりの本の一つの点だよ。覚えてる?」
※宇宙の始まりの本:
私が読んでいたフラワー・オブ・ライフの本に興味を示したので、
見せたことがありました。
その本についてはまた機会を見て書きたいと思います。
「うん。
まず一つの点があって、そこからそれが二つに分かれて、
またそれが分かれて、どんどん増えていった。
その一番初めの一つの点。」
「そうそう。
で、分かれて分かれてたっくさ~んになったそのうちの一つが
私たちの魂だよね。」
「うん。」
「だから、あなたが今神様って呼んだそれは、
私たちの魂の始まりで、
私たちの魂と一緒ってことだよね。」
「うん!全部一つ。」
「でね、その、神様って今呼んだものは、
人によっていろんな呼び方をしてるよね。」
「どういうこと?」
「あなたはママの事をママって呼ぶけど、パパはRって名前で呼ぶでしょ?
他の人は、Mさんって名字で呼んでる人もいるし、
全く呼び方をしらないひともいるよね。」
「そっか!それと同じなんだ!」
「そうなの。
神様って呼んでいる人もいれば、
天って呼んでる人もいれば、
純粋意識って呼んでる人もいれば、
初めの意識って呼んでる人もいれば、
その一つの点には
いろ~んな呼び方があるよ。
あなたは何て呼びたい?
二人で何か、ニックネームつけちゃおっか。」
「僕は、世界を作った一つの点って呼ぶ。ママは?」
「ママは、宇宙の源って呼んだりしてたけど、どうしよっかな~。」
「源ってなあに?」
「一番はじめの、元のものってこと。」
「じゃあ、宇宙の初め一つって呼ぼう!」
「うん、そうしよっ☆」
「でもさ、皆神様って呼んでる人たちがたくさんいるじゃない?
神様って、何人いるの?」
「そうだね~。
神様とか、イエス様とか、モハメッドとか、
いろんな存在を神様って呼んでるよね。
人によってその数は違うよね~。」
「どうしてなの?」
「それはさ~、
さっきの、宇宙の初めの一つからどんどん増えていって、
でも、私達よりもっと前の、まだ、二つとか4つとか、
まだそんなにいっぱいは数が増えてない部分の存在を呼ぶのかもしれないし、
そうしたら、4つの部分を神様と呼んでる人がいたり、
32の部分を神様って呼んでる人がいたり、
色々なんじゃないかな~。
そして、
その人たちが信じてる数とか部分とか存在によって、
宗教になるんじゃない?
キリスト教とかモスリム教とか仏教とか。」
(↑シンガポールの多民族多宗教の中での暮らしのおかげで、
宗教の多様さはなんとなく知っているみたい)
「そっか~。」
「でもさ、その一番元は何だったっけ?」
「宇宙の初めの一つ。」
「そう!だから結局、皆一つ、皆同じなんだよね~。」
「うん!!」
「T君が怒った感情のおかげで、なんか楽しい話になっちゃったね。ありがとう!」
「僕も、ありがとう!」
そして、彼の怒っていた感情をなだめに部屋に入った様子を
見届けていた義理の母が(ドイツから義理の母が来ています)
部屋の外で待っていたので、
「いい話してきたよ~。ね!何の話だっけ?」
と私が聞くと、息子は、
「いっぱいあり過ぎて、もう忘れちゃったよ~!」
と。
あはは。
でも、それでいいんです。
忘れてしまっていいの。
あなたの潜在意識が知っていることを
思い出す会話の後、、
顕在意識が忘れたふりをしてしまっていいの。
必要な時に、思い出すから。
思い出したいときに、思い出すから。
その種を、私に撒かせてくれてありがとう。
義理の母は、さっきと彼の眼がちがうと言って、
感動しながら彼に
「Gute Nacht(お休み)」と言いました。
息子は6歳。
こんな年齢の子ですから、
そんな話が分かるわけないと思って
深い話をしない選択もありだと思います。
でも私が選択するのは
母親としての役割の中で、
彼が、彼の魂が既に知っていることを共有する気持ちで
こういう話をしてみるということ。
そして実際に、彼は目を輝かせながら
その話を楽しんでいました。
目は、魂に通じる場所。
彼の魂が、
輝きながら
私との会話を楽しんでくれたという事だと思います☆
子供とのスピリチュアルトーク、楽しすぎる。
ママという役を演じさせてくれて、ありがとう♡♡♡